人生で一番大切なことは・・・

mitchy

2012年07月27日 22:25

昨日…
父が低血糖に陥り…またまた救急車のお世話になりました(>_<)

父が救急車のお世話になるのは初めてのことではありませんが…
私が通報したり、救急車に乗り込んでついて行ったのは初めての経験デシタ(・。・;

しばらく落ち着いていたので
父の持病について気に留めない日々だったことに(_ _ )/~~ハンセイ

父は毎日…
朝、昼、夕方と21時頃に血糖値を測っています。
デモ…昨日は様子が変で
21時の測定を行う気配がなく…
冷や汗かいてシャツが濡れて体温が下がっている様子で
話しかけても会話にならず…ろれつが回らなくなり\(◎o◎)/!

私も母も真っ青…(@_@;)

慌てて手足をマッサージしたり
水を飲ませてみたり…
罹りつけの病院へ…診察してもらうよう懇願の電話をして
救急車を呼び、診察してもらったのが10時過ぎ。。。

毎食前にインシュリン注射を打っているのですが…
夕飯をあまり食べられなかったようで
バランスが取れなくて低血糖に陥ったのかも知れません。

朝まで二時間置きに血糖値を測って様子を見ることとなり
父を残して 一旦、家族は帰宅。。。

私は仕事だった為、妹に父を迎えてもらったのですが
インシュリンの量を調整してもらったようで
今は至って元気です。。。

寝てしまう前に気付いてホントによかったですC=(^◇^ ; ホッ!


なんでもない…
当たり前の毎日に感謝です。。。

感謝O(-人-)O感謝


長くなりますが~
 ↓ お時間のある方はお付き愛くださいませ(o*。_。)oペコッ

プチ紳士・プチ淑女を探せ運動よりシェアさせて戴きます(^O^)/



ちょっといい話
『ありがとうと伝えたい…母への思い』志賀内泰弘

今日は、以前ご紹介した埼玉県北足立郡伊奈町の 宮本忠行様からの投稿を紹介させていただきます。

*   *   *   *

人生で起こることは何か大切なことを気づかせて くれるために起こるようです。

人生で最も大切なことを両親から教えられました。 父も母も今はもういませんが、 大切なことを教え残してくれました。



父からは『あり方』でした。 みんなから愛されていた父に、 最も愛されていたのは自分だったということがわかったとき、 父が亡くなったあとも後から後から涙が流れてきました。

それから6年後、桜が舞う季節 。病院主催のお花見会に参加するため、 病室から小さくなった母を車椅子に乗せて近くの神社に足を運んでいました。

母が34歳の時に難病のベージェット病が発症した。 母がずっとつけていた日記には、ほとんど毎日のように微熱や頭痛があると書かれていた。

妹と一緒に、その日記を見ていて辛くなった。 無理をすると発症するからと医者には言われていたようだ。

子供たち二人が学校から帰ってきたらお腹を空かさないように、 いつもお菓子が買ってあった。お菓子はいつも妹と半分にして分けた。

看護婦をしていた母にとって、毎日のようにお菓子を買っておくことだけでも大変だったはずだ。

神社には桜が舞っていて、ポカポカと暖かく気持ちが良かった。看護師の方たちが おいしいおでんを振舞ってくれている。

よく煮込まれた大根はとろとろでした。看護師さんからスプーンが手渡された。 今日は、母にもちょっとだけなら食べさせても良いという。

病気のため、母の身体がだんだんと動かなくなっていった。 ついに身体に必要な栄養を毎日3度の点滴で補うようになっていた。

幼い頃に大火傷を負い、頭皮に後遺症が残った母のこれまでの人生は 辛かったことのほうが多かったはず。 いったい何が楽しかったんだろうかと妹と話したことがあった。

人を傷つけることは決して言わなかった。 誰に対しても優しかったのは人の痛みがよくわかったからなのかもしれない。

母の病気が進行するにしたがい、身体の自由が利かなくなった母の身の回りの お世話をすることが多くなっていった。 そのうち、母を幼い子供のように接するようになっていた。

「おでんが欲しい?」

と聞くと 食べたいという。 久しぶりに人間らしく口からおでんを 食べさせてあげられることに嬉しさを感じた。

おでんを小さく小さく刻んで、スプーンの上にのせ、口元に運んで食べさせた。

「おいしい」

母が本当に美味しそうに嬉しそうなので、自分も本当に嬉しくなり、 嬉しくて、嬉しくて涙がにじんできた。

口元にスプーンでおでんを運ぶとき、 母が自分が赤ちゃんの時に今の自分が 母におでんを運ぶのと同じようにスプーンで 口元に運んでいたときの映像が入ってきました。

子を思う母の愛情がポンと心に入ってきました。 時を越えて、母の愛を受け取った瞬間でした。

そこには、愛しかありませんでした。 子が存在しているだけで愛おしく感じる心。 自分のすべてを注ぎ込む愛情がそこにはありました。

母の無償の愛を感じて泣き崩れました。

おでんをのせたスプーンを口元に運びながら無理に微笑もうとすると余計に涙が溢れます。 こんなにも愛されていたんだと思うと涙が止まりませんでした。

もっと親孝行すればよかった。 もっと作ってくれた料理をおいしいって言ってあげればよかった。

それなのに、こんなにもこんなにも愛されていたんだ。 そう思うと涙があふれて止まりませんでした。

「こんなに素晴らしい行事をしてくださり、  本当にありがとうございました」

感謝の手紙を院長先生宛に出しました。 心から接してくれる看護師さんたちを院長先生に褒めていただきたかったのです

それ以降、母は友人から呼ばれていたように看護師さん達からは、 「あっこさん」と呼ばれるようになっていました。

母の最期の友人たちでした。 『人には優しくしよう』 これが、母から学んだことです。

それから数年後、最愛の妹にガンが見つかった。 聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。 目を開けているのに何も見えませんでした。

祖父母、両親をすでに亡くしている自分にとって、 たった一人でこの世に残されるような虚無感を感じたのです。

全く現実を受け入れられませんでした。手術は成功しました。 いまは、再発の可能性がなくなる5年が無事に過ぎればと思っています。

心の底から気がついたことがあります。

それは、

人生で一番大切なことは、 一番大切なことを 一番大切にすること。

好かれていない人のご機嫌を取るより、 自分を愛してくれている人のために時間をもっと使おう。

でっかいことをしようとするよりも、 いつも見守ってくれている人が喜ぶことをするために時間をもっと使おう。

ありがとう、ごめんなさいがちゃんと言える人になろう。 人に迷惑だけはかけない人生にしよう。

嬉しいときには嬉しいとちゃんと伝えよう。 愛している人に愛しているとちゃんと伝えよう。

人生で一番大切なことだから、 親が子供に一番最初に教えることなんだと心に落ちます。

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